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地域のミニ情報


安珍清姫(釣鐘饅頭)


【物語の概要】
寺の創建から230年経った、延長6年の物語。参拝の途中、一夜の宿を求めた僧・安珍 に清姫が懸想し、恋の炎を燃やし、裏切られたと知るや大蛇となって安珍を追い、 最後には道成寺の鐘の中に逃げた安珍を焼き殺すという「安珍清姫の物語」の 悲恋は「法華験記」(11世紀)に記され、「道成寺もの」として能楽、人形浄瑠璃、 歌舞伎でもよく知られています。

詳しくは 道成寺>安珍清姫の悲恋物語をご参照ください。


かみなが姫


【物語の概要】
大宝元年(701)、文武天皇はその夫人の藤原宮子の願いを受け、道成寺を お建てになりました。宮子は、道成寺の言い伝えでは「髪長姫」とよばれる 村長の娘であったとされます。この言い伝えには賛否両論があり、色々な研 究もなされましたが、宮子の人生には今も多くの謎が残されています。 ここでは道成寺に残る『宮子姫伝記』という絵巻に従って紹介しましょう。

詳しくは 道成寺>かみなが姫の物語をご参照ください。


湯川町の昔話


  1. 足きりさん
  2. 「富安」という地名2編
  3. みこ渕
  4. 万福寺のお薬師さん
  5. ひも観音
  6. かずえ坂の神様
  7. 会下のいぼ地蔵
  8. よなき地蔵
  9. たぬきのあみださま
  10. あとがき



1. 足切(あしきり)りさん





 富安に留置(どめき)というところがあります。
むかし 弘法大師(こうぼうだいし)が熊野のおまいりにいくとちゅう ここに たちよられました。
 すると 讃岐(さぬき)の屏風浦(びょうぶうら)から 大師がおつくりになった地蔵菩薩(じぞうぼさつ)があとをおってあらわれ

  「わたしを熊野にうつしなさい」

 と お告げになられました。
 大師は

  「いっしょにここにとどまって この村の人々をお助けください」

 と おねがいしましたが お地蔵さまは聞きいれてくださいませんでした。
 それで やむなく お地蔵さまの つまさきを切っておとどめしました。

 そののち だんだんと このお地蔵さまにおまいりする人がふえ 夢のおつげがあり 西向きにお寺をたて 西向(さいこう)
山地蔵院万福寺(さんじぞうまんぷくじ)とよんで お地蔵さまをおまつりしました。

 いまでは 足のけがや病(やまい)をなおしてくれる 足きりさんとよばれ したわれています。


2. 「富安(とみやす)」という地名2編





 むかしは 「富安」 と書きました。

これには二つのおはなしが つたええられています。

 ひとつは・・・・・

 亀山城のおとのさま 湯川直春(ゆかわなおはる)の奥さんの 富(とみ) がここにこどもを生むための家をたて 小松原の子安(こやす)神社におまいりし 安産をお祈りして無事 元気なこどもを生むことができたので それ以来 「富安」といいます。


 そして もうひとつは・・・・・

 入山(にゅうやま)城のおとのさま 青井春高(あおいはるたか)には ながいあいだこどもがいませんでした。
 そこで 奥さんの 富(とみ)ノ前(まえ) が 足切りさんへ百ケ日参りをして

 「こどもが さずかりますように」

 とお祈りしました。すると 百日めの夜 夢の中に しらが頭のおじいさんがあらわれ

 「あなたにこどもをさずけましょう」

 といったかとおもうと 口の中に白い玉がとびこみました。

 夢からさめてみると おなかのなかに赤ちゃんがやどっていました。
 そして 無事 元気な男の子が生まれたのです。

 その里は 青井家の祈願所(きがんしょ)となって 「富安村」 といい のちに 「富安」と いわれるようになりました。


3. みこ渕(ぶち)





 あたご橋から 富安川を四00メートルほどさかのぼったところに いつもきれいな水をたたえた淵(ふち)がありました。
里人は ここを みこ淵(ぶち)とよんでいました。

 むかしむかし ある夏のあつい日 鹿ヶ瀬(ししがせ)のほうから富安谷へおりてきた旅のお坊さんがいました。やぶれ笠のしたからは あせがしたたり ほころにまみれた衣もぐっしょりぬれていました。
 お坊さんは 富安橋のあたりへきたとき 一けんの家の前に立ち お経をあげました。すると その家のおかみさんが出てきて お米をくれました。お坊さんはそれをおしいただいて

 もうしわけありませんが水をいっぱいいただけませんか のどがかわいてカラカラなのです」

 と言いました。おかみさんは

 「それは おきのどくですが ながいながいひでりのため 家族の 飲み水だけでせいいっぱいですので どうかよそで もらってください。

 と ことわりました。お坊さんは

 「そうですか これは失礼をもうしました」

 と言ってさって行きました。
 お坊さんは 次にお経をあげた家でも また ことわられるだろうと思いながらも 水をもとめました。するとその家のおかみさんは

 「それはおやすいことです しばらく お待ちください

 と 手おけをさげて どこかへ出て行きました。でもなかなかもどってきません。あまりおそいので お坊さんは おかみさんのおりていった谷へ 言ってみました。しばらく歩くと おかみさんは かけいから落ちる糸のようなしずくを おけに受けていました。
 水をくんでもどってきたおかみさんは その水を おわんにいっぱい入れて お坊さんにあげました。
お坊さんは

 「これはありがたい」

 と 手をあわせておがみ おいしそうに飲みました。

 「いつもなら 飲み水ぐらいは井戸にあるのですが こうひでりがつづいては いねのほうもしんぱいです」

 と おかみさんはいいました。なるほど 家のまわりのいねは かれ死(じ)に寸前(すんぜん)です。

 「これはこれは さぞ おこまりでしょう」

 お坊さんは しばらく 手をあわせておがんでいましたが ふしきふしぎ お坊さんのもつ つえのさきから こんこんとうつくしい水がわきいでてきたではありませんが
 おかみさんは びっくりして おもわずひざまづいて

 「ああ ありがたや もったいないなや あなたは ただのお坊さんではありますまい」

 と 手をあわせてさけびました。

 「いやいや あなたのうつくしい心が ほとけさまにつうじたのですよ おしあわせに」

 と 言って お坊さんはたちさりました。
 これが みこ渕のおこりで どんなひでりも 水はかれなかったそうです。上流の富安橋の下からは ほどんど流れがないときでも みこ渕はいつもゆたかに水をたたえ
ていたので その地の名前も 「清水(しみず)」 「南清水(しみず)」とよばれています。

 そして そのときのお坊さんは 弘法大師(こうぼうだいし)であったと言われています。


4. 万福寺(まんぷくじ)のお薬師(やくし)さん





 むかしむかし ある夏の あつい日のことでした。
しずかな富安の里に ジャンジャンとかねがなりひびきました。

 「火事だ!」

 と 田んぼでしごとをしている人も 家の中にいる人も その手をとめ 見れば 薬師谷山がまっかになっています。
 みるみる火の手は 薬師堂にせまってきました。
 ひとびとは

 「せめて薬師堂だけは無事でありますように・・・」

 と 心の中でいのりながら かけつけましたが あっというまにもえうつり ものすごい音とともにむなぎがもえおちました。

 まもなく火は おさまりましたが 人々はお薬師さんをたすけだすことができなかったと とてもざんねんがりました。

 それから いくにちかたって 上富安のおひゃくしょうさんがたんぼへいくと あのお薬師さんが つくんと田んぼのなかにすわっておられるではありませんか。

 「もったいない これはきっとあの火事のとき ひとりでここまで のがれなさったんだろう」

 と ていねいにいただいて 万福寺へおまつりしました。

 それで村人たちはいっそう お薬師さんをうやまうようになりました。


5. ひも観音(かんのん)





 富安にある 円福寺(えんぷくじ)の千手観音(せんじゅかんのん)は 道成寺の千手観音と同じ 一本の木から作られていて それもおなじじだいにつくられたといわれています。よくみると二つの観音はにているそうです。
 この観音は おおくのじゅんれいたちの背におおわれて諸国(しょこく)をめぐり 人々をたすけたとつたえられています。
 順法(じゅんぽう)というおしょうさんが この観音をせおって諸国をめぐり かえってきたとき そのときの亀山城のおとのさま 湯川政春(ゆかわまさはる)におまもりとしてさしあげました。
 それからは 湯川家におまつりされていましたが いくさで亀山城が落ちたとき また 円福寺円福寺にかえされました。
 この観音が ひも観音と言われるのは 背中におわれて諸国をめぐったときにつけられたひものあとが いつまでものこっていたからだそうです。

  ざんねんなことに 今はもう円福寺のたてものも千手観音もなくなってしまいました。


6. かずえ坂(さか)の神様(かみさま)





 下富安の小谷団地(こだにだんち)の近くに かずえ坂という 上富安へつうじているゆるい坂道があります。
 むかし 亀山城のおとのさまがいくさでまけたとき その家来のひとり主計(かずえ)という人が ここでなくなりました。
里人は石のほとけさまをつくってほこらにおまつりしました。明治のおわりごろ 湯川神社へいっしょにおまつりするようになりました。

 何年かたって ある人がこの土地をかい そこにあった石を持ってきて やしきのあちことにおきました。
 ある夜 その人の夢の中に 知らない男があらわれて

 「石かえせ!石かえせ!」

 と 言います。なんのことだかさっぱりわかりませんでした。そののち その人が病気になり なかなかなおらないので きとうしてもらったところ
 「おまえの家のうらに さんじょの木がある そこへまつらねばならん神様がある それは 主計大明神(かずえだいみょうじん)じゃ そうすれば病気はなおる」

 見ると なるほど 家のうらにはさんじょの木がありその下をほってみると 中から石のほとけさまの頭のようなものが出てきました。それをもういちどていねいにうめなおして そこにほこらをたてておまつりしました。
 ふしぎなことに 病気はすっかりなおりました。そしてさんじょの木もきえてしまったということです。


7. 会下(えげ)のいぼ地蔵



 下富安会下の谷の丘にお地蔵さん二体をおまつりしています。むかし 浄安寺(じょうあんじ)(今は大渓寺「だいけいじ」に合併されて ありません)というお寺にありましたが 洪水(こうずい)でながされてしまいました。
 そののち 小松原中黒坪(なかぐろつぼ)のあたりからほりだされ おまつりされていましたが 鉄道の開通や道路工事などであちこちにうつされて いまのところにとどまりました。
 このお地蔵さんは いぼ地蔵といわれ いぼをとってほしい人はおまいりをするとき お地蔵さんにおそなえしている水をいぼにつけて 家にかえるまで うしろをふりむかないようにすると ねがいがかなうといわれています。


8. よなき地蔵(じぞう)



 下富安にあるお地蔵さんで よなきをするこどもがいたら 七種類のおそなえものをして おねがいすると なおるといわれています。


9. たぬきのあみださま





 むかし あるいなかの寺に しゅうどん というおしょうさんがいました。
 寺のけいだいには 大きなけやきの木があって 根元(ねもと)には洞穴(ほらあな)がありました。その穴に古だぬきが住んでいて いたずらばかりしていました。
 夜中になると

 「しゅうどん しゅうどん」

 とよぶので だれか来たのかと 戸を開けてもだれもいません。それが毎晩毎晩つづきます。いたずらかなと思っても もし 本当にだれかがたずねて来たのならとつい 開けてしまいます。

 「よしいっぺんつかまえたろ」

 と思って ある晩 戸のふし穴から外をのぞいてみるといっぴきのたぬきが出てきて 大きなしっぽで戸板をなでると その音が「しゅう」となり それから からだを一回転させて 頭を戸にあてると 「どん」となります。

 「たぬきのやつめ うまいことをかんがえおったなよしこんどはつかまえたる」

 そしてつぎに しっぽで「しゅう」と戸をなでて 「どん」と来るときに パッと戸を開けました。たぬきはドッと部屋の中へ たおれこんできました。おしょうさんはすばやく戸をピシャッとしめました。
 ところが たぬきのすがたはどこにも見あたりません。
本堂までさがしに行くと 阿弥陀(あみだ)さんが二つもならんでいるではありませんか。

 「ははーん 阿弥陀さんにばけよったな」

 と思いましたが さて どちらが本物かわかりません。
おしょうさんは しばらくかんがえて

 「どっちがほんまのうちの仏様かいな うちの仏様やったら 耳がピクピクうごくんやけどな」

 それを聞いたたぬきの仏様は 耳をピクピクさせました。
それで やっとつかまえてこらしめました。

 「こんど こんないたずらをしたら たぬき汁にしてしまうぞ」

 と言うと

 「こらえてください こらえてください もうぜったい いたずらはしません」

 とあやまったので 古くからいるものだから かわいそうに思って にがしてやったそうです。


10. あとがき



 今、わたしたちが住んでいる 湯川の町は、道路も整備 され、店や家もたくさん増え、人や車もにぎやかに行きか い、大きく様変わりしています。
 しかし、はるか遠い遠い昔には、富安から小松原をぬけ て熊野へと続く、わすかに 人のすれ違うのがやっとの狭 い道が 主な街道だったようです。その頃の人々の暮らし はどのようなものだったのか、便利さが身についてしまっ たわたしたちには 想像もつきません。
 わたしたちの町に 古くからねむってきた たくさんの 民話や言い伝えを 子供たちにも知ってほしいという思い と、ふるさと湯川を 大切にしてゆきたいという願いから、 『ゆかわむかしばなし』として まとめてみました。そし て、今回は 特に多くのお話が残っている富安を中心に集 めました。
 この本を作るにあたり、和歌山民話の会 小路 順先生 をはじめ、ご協力いただいた みなさまに 深く感謝申し 上げます。
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 参考文献
 
*紀州日高地方の民話	中津 芳太郎編著
*御坊市史		御坊市史編さん委員会編纂
*続日高郡誌		日高郡町村会


 参考資料
 
*足切地蔵尊和讃	万福寺



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 『ゆかわむかしばなし』

発行日 平成十二年五月五日
発 行 エプロンネットワーク
    和歌山県御坊市藤田町吉田3−12
    電話<FAX>0738−22−9382
再 和 黒田有希子
    和歌山県御坊市湯川町小松原231
印 刷 中央印刷株式会社

     {ふるさと未来づくり補助事業)
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